(10)達弥西心のわかりやすい話「別れ」

達弥西心のわかりやすい話「別れ」

2009年06月

●誰もがいちばん最後にすること - HMU 達弥西心

この世は目に見える世界です。あの世は目には見えない世界です。
この世はモノの世界です。あの世はこころの世界です。物質の世界と精神の世界の違いです。

この世にあって、あの世にないものはいったい何でしょう。
この世にあってあの世にないものとは、財産、地位、学歴、経歴、肩書、お金や衣食住などモノのすべて、そして世間からの称賛や評価などです。つまり、人間がこの世に生きている間、血まなこになって得ようとするものすべてです。自分から外へ向けて欲するもの、この世に生きている間にしか身に付けていることができないもののすべてです。
この世での幸せとは、これらのモノをできるだけ多く手に入れることだと、多くの人は信じています。本当にそうでしょうか。

では、あの世にあってこの世にないものはなんでしょうか。
あの世にはモノはありません。あるのは、こころだけです。
こころなら、この世にもちゃんとあるはずです。私たち人間が生きているかぎり、こころはそこにあるのです。
その、こころには、重いこころと軽いこころがあります。
こころが重くなるのはモノにとらわれているときです。世間の評価にとらわれ、他人の目が気になるときです。
こころが軽くなるのはモノから思いを離したときです。世間の評価から思いを離し、他人の目が気にならなくなったときです。
自分からうちに向けて求めるものがこころです。こころは得るものではなく、自分自身の手で磨くものです。磨きあげるものです。

モノは得るものです。求めるものです。奪うものです。身につけるものです。この世のものです。
こころは与えるものです。磨くものです。高めるものです。こころはこの世にもあの世にもあります。
あの世では与えることだけです。与えることしかありません。
さて、私たちはやがてこの世を去って、あの世に入ったとき、その与えることをしていくのです。
そのあの世での入り口で、すなわちこの世での最後の最後に、私たち人間は人生最後で最大の試練を受けるようになっています。この試練は、みんなに平等におとずれます。

この世での最後の試練は、与えることです。手放すことです。
たいていの人は、死ぬときは何も持って行けないと口では言っていますが、本当にこころの底からその意味が分かっているでしょうか。
私たちは、いま身につけているものすべてを、ひとつ残らず、惜しみなく与えることができるでしょうか。
全部、私たちが自分で汗を流して集めたものです。苦労して身につけたものです。それをそっくりそのまま、しかも惜しみなく与えることができるか、というたった一つの設問の試験です。

どうしても与えることができないと思えば思うほど、苦悩するでしょう。どうしても与えなければならないことが、私たちにはよく分かっているからです。
分かっているのに、そうできないことが、悩みというものの正体です。

HMU 達弥西心

●人間はほんとうに生まれて死ぬの - HMU 達弥西心

私たちは、人間は生まれて死ぬのだということを、なんとなく知っています。分かったつもりでいます。
私たちのからだは、この世に生まれて、やがて死にます。からだは、なくなってしまいます。
しかし、人間はほんとうに生まれて死ぬのでしょうか。

宇宙はまわっています。まわり続けています。それが宇宙の法則です。
宇宙は始まりも終わりもない、まわる運動を続けています。
その宇宙に生きる私たち人間は、ほんとうに生まれて死ぬ、ほんとうに始まって終わるのでしょうか。始まって終わる、スタートとゴールだけの一本道を歩いていくだけなのでしょうか。
宇宙のすべてのものは、まわりながら存在しています。
私たち人間は、この世での人生に限りがあると知っていながら、それでも生きていく、それでも努力しつづけられるのは、私たちは、ほんとうはいのちが有限ではなく無限ではないか、不滅ではないかと知っているのではないでしょうか。

宇宙に生きている人間もまわっているのです。始まることも終わることもない、まわる運動の中にいるのです。
確かに、私たちのからだは、よく知っているように、生まれて死にます。なくなってしまいます。終わりです。しかし、私たちのこころ、魂は生き続けます。まわり続けるのです。
魂とは、私たちそのものです。私たち自身です。自分自身のことです。
その見えない私自身は、生き続けます。生き続けてまわっています。ぐるぐるとまわり続けているのです。
だから、この世の人生に限りがあるとわかっていて、それでも生きていける、それでも努力しつづけられるのではないでしょうか。

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●結局、出会わなければよかったんだ - HMU 達弥西心

結局、出会わなければよかったんだと思える瞬間がある。でもでも、出会ったほうがよかったんだと思い込もうとしている。そうだよね、きっとそうだよね、生きる悲しみって案外とこんなこと。たいしたことない、と思おうとするそのことが案外とたいしたことだったりする。

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●雨、降ってますか? - HMU 達弥西心

雨、降ってますか?あなたの町はどうですか?

突き走る電車の窓は横殴りの雨だれ。悲しいわけではないのに、誰かがこの雨の向こうの町で泣いているような気がします。もう何年も降りたことのない駅。若い頃ずいぶん頑張った街。

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●みんな本気で許してあげる - HMU 達弥西心

誰にもどうしても忘れられない過去があります。思わず悔やんでしまう過去があります。ああすればよかった、こうすればよかったと、ことあるごとにふと思い出してしまう過去があります。
どうしてあのときこうしなかったのかと後悔するとき、自分自身が情けないというような自分自身を責めているような言葉で説明していても、たいていどこかに「どうしても」許せない相手がいるものです。
あのとき、あの人がああしなかったら、という思いをどこかに持っているものです。

私たちは、過去を思い出すたびに、想像の中で過去を現在に引き寄せています。
過去はたいてい失敗の記憶です。悪い種をまいたことを後悔しています。過去を思い出すということは、まいた悪い種を掘り起こそうとしているようなものです。まいてしまった種はどうしようもないのです。
しかも、過去にまいた種のことを後悔の思いで思いだすとき、現在においても悪い種をまいていることになるのです。
いまは、良い種をまくことに専念するときです。良い種をまけばきっと良い実がなるのですから、せっせと良い種をまき続けることです。

過去は忘れてしまうことです。きれいさっぱりと忘れてしまうことです。
どうしても忘れられなければ、すべてしっかりと覚えておくことです。しっかりと覚えておいて、そして、すべて許してあげることです。

みんな許してあげる。ぜんぶ許してあげる。そう宣言してしまうのです。
まわりの他人はもちろん、嫌な思い出、嫌な感情、過去のすべて、そして自分自身がしてきたこと、自分の性格もすべて、みんなまとめて許してあげる。そういう宣言です。

こころの底から本気で「許してあげる宣言」が出来たとき、はじめてほんとうの良い種をまくことができます。

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