私たちは可能性が無限にあると教えられてきました。より良く生きるためには、どうしたらよいかの情報や知識も充分に備えることができます。私たちはそれを信じて努力してきました。その結果、それなりの成果や、それなりの地位と財産も手に入れることができたでしょう。たくさんの知り合いや友人、そして人脈というつながりもできたかもしれません。楽しみも充分味わってきたでしょう。旅行、食事、レジャー、趣味。とても楽しかったと思います。


さて、生涯かけて得たものをいったいどうするつもりですか。この世での人生最期の日にすることは、ただ一つ、与えることだけです。すべてを自分の手から放していくことだけです。この日は誰にでも平等におとずれます。

あの世というこころの世界に還っていくときに、モノは持っていけないのです。こころの世界にはこころしか持っていけません。誰もが知っているこのことを、誰もが準備しているでしょうか。あの世へ持っていくこころは、ちゃんと磨いてあるでしょうか。モノに一切の未練を持たずに手放す覚悟はできていますか。


どれだけたくさんのモノを手に入れても構いません。モノは、この世に生きる人間たちが、手に入れて喜ぶようにつくられたものだからです。しかしモノを手に入れるにはルールがあります。

モノを集めることだけを望むのではなく、こころの次元を上げることも望むことです。

モノを集めることに執着するのではなく、こころを磨くことに執着するのです。こころは磨けば磨くほど輝いていきます。

あの世には、こころしか持っていけないのであれば、せめて、そのこころだけはきれいに磨き上げて持っていきたいものです。

HMU 達弥西心